平尾隆之ファンから見た映画大好きポンポさん 感想

劇場版 映画大好きポンポさんを見た。

この作品を見た方は、原作のファンであったり、話題になってたから見てみたという方が多いと思う。

自分はそれらとは違って、この作品の監督である平尾隆之さんのファンだからという理由で見に行った人間だ。

まだまだ一般的な知名度は低い監督であり、平尾監督ファンからはどう見えたかという感想が少ないので、自分なりに平尾監督ファンという視点からの感想を書いてみようと思う。

 

この作品は原作漫画があり、自分も映画を見る前に原作もチェックしていた。

劇場版は基本的なキャラクターやストーリーの流れは原作の1巻と同じだ。

しかし、作品を見た時に受けた印象は大きく異なるものであったと思う。

基本的なストーリーは同じとはいえ原作から膨らませている部分もあるし、オリジナルキャラもいるのだが、それ以前に開始数秒でもう平尾濃度が高すぎるのである。

一言で表すなら、この作品は平尾監督の集大成的な作品になっていると自分は感じた。

どういうことかというと、この作品には、演出や、シナリオなど、あらゆる面で過去の平尾作品でやっていたことが盛り込まれているのである。

わかりやすいところで言うと、すれ違う瞬間にスローモーションにすることで印象づける演出や、カメラ固定で高速で時間が経過する演出はゴッドイーターでやったもので、軽快なビートに乗せてセリフなしで映像が流れていくのはまなびストレートでやったものだ。

また、時系列を入れ替えてみせていく構成は空の境界5章、アランのプレゼンは署名活動で行き詰まったときに桃葉が電波ジャックをしてメインキャラのインタビュー映像を流したまなびストレート10話を彷彿とさせるし、一番大事なものを守るためにそれ以外を捨てなければいけないときもあるというのはゴッドイーターでもやったテーマだ。

このように過去に平尾監督が手がけてきた作品の要素を盛り込んであるわけだが、これは別にただ手癖で作っているというわけではないと自分は思っている。

 

平尾監督はマッドハウスの制作進行出身で、今敏監督等から演出を学び、その後ufotableで活躍されていた。

ufotableの中でも一際個性派だった平尾隆之は、社長からも期待されていたように感じたし、異常なまでにクオリティを追求するufotableと平尾監督は相性が良かったと思っていた。

しかし、平尾監督はufotableを離れることになった。

詳しい経緯は知らないが、ゴッドイーターの時に迷惑をかけてしまったからということらしい。

迷惑をかけたというのは、ゴッドイーターでスケジュールがない中あまりにもこだわりすぎてしまった結果、放送を何度も落としてしまったという事態のことだろう。

そのことを反省して自ら離れたのか、会社から切られたのかはわからないが、前向きな退社ではないことは確かだ。

その後、実質無職のような状態になったらしく、その時に初心にかえり、自分は何のためにアニメを作っているのか、自分は何がやりたいのかということを見つめ直したようだ。

そんな時にポンポさんのアニメを作らないかと言われ、漫画を読んだ時に、おそらく平尾監督はそこに自分を見つけたんだろうと思う。

これは僕なんだと。

だから、劇場版のジーン・フィニは平尾隆之にしか見えないのである。

平尾隆之と化したジーンは原作のジーンとは少し違うんだろうと思う。

ただ、それでも劇場版にも感じるジーンらしさ、映画大好きポンポさんらしさというのは、自分を決して曲げないところにあると感じた。

自分がやりたいことにどこまでも素直で、時にはそれで周りに迷惑をかけたとしても、決して曲げない信念がある。

映画大好きポンポさんをアニメ化するにあたって、自分を押し殺して原作者や原作ファンに気を使った作品にしてしまうのは、逆に映画大好きポンポさんのアニメ化としては失敗ではないか?と個人的に感じる。

平尾監督は思いっきり自分を解放してこの映画に詰め込んだ。

それによって原作からは離れてしまったのかもしれない。

だったらオリジナルでやれば良いじゃんと思う人もいるだろうし、よくわからん監督に原作を利用されたと憤慨する人もいるだろう。

それでも、こういうことを映画大好きポンポさんという原作を使ってやったことは非常に意義があると自分は感じている。

それこそがまさに映画大好きポンポさん的なのではないかと。

原作者がアニメに関わらずに監督にお任せしたのも、そのようなことを期待していたのではないかと思う。

ポンポさんから受け取った脚本をジーンが自分の作品に作り替えてポンポさんに返した、その関係性はまさに平尾監督と原作者の杉谷さんに重なって見えた。

 

ジーンがダルベールに自分を重ねたとき、そこに自分も重なって見えたし、平尾監督や平尾監督が手がけてきた作品のキャラたちも重なって見えた。

あの時のえもいわれぬ感情は今まで味わったことがないものだったかもしれない。

ジーンが最後に切るべきか悩むカットが、平尾監督と昔から親交がある竹内哲也さんが手がけた(と思われる)超絶カットだったというあたりも、平尾作品を長年追っかけてきた自分としては非常にグッときた。

 

自分は常々作品というのは人であると感じていて、作品にはどうしたって作者が滲み出るし、作品を通して勝手に作者と対話している気になっていた。

自分は別に平尾監督の友達でも何でもないし、本当は平尾監督のことなんてほとんど知らない。

でも、作品を通してなんとなくこういう人なのかなと思い描いていたのは、この作品を見てやっぱりあながちまちがっていなかったのかもなと思えた。

平尾作品によく参加している作曲家の椎名豪さんのインタビューで平尾監督の作品は主人公がみんな平尾監督に似てると言っていたのを見て少し笑ってしまった。

作品を見ている時に作者なんて気にしたくないと思う人もいるだろうが、こういう楽しみ方もあるよ、とだけ言っておきたい。

庵野監督ほどの知名度があるとシンエヴァ私小説的であると語られることはあっても、ポンポさんがそういう文脈で語られることが全くないのは少し寂しいなと思ったので今回このようなブログを書いてみた。

 

もちろん平尾監督のことを知らなくても、単純にクオリティが高いので楽しめるものではある。

ただ、この作品を面白いと感じたのであれば、是非他の平尾作品も見てみることを自分はおすすめする。

 

短時間でサクッと一本見とくなら映画作品の魔女っ子姉妹のヨヨとネネ。

テレビシリーズであれば、ゴッドイーターまなびストレートフタコイオルタナティブあたりがおすすめ。

 

自分は平尾作品はよく見ているが、映画にはあまり詳しくなく、映画のオマージュ的なシーンはわかってない部分が多いので、その辺りの視点での感を誰かお願いします。

 

ぉゎ。